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ナマ女王を見た!!!(>_<) [たわごと◆Takamura作品全般]

……見てどうする(^_^;)

すみません、げこ、舞い上がってます。心臓ばくばく、不整脈が止まりません。食欲も機能してません。
帰宅して郵便受けに「クリスマスイブは空いてるか」という手紙を発見した義兄と同じぐらい、壊れてます。
いま、私は、日本で指折りに幸せな女だぁあああーーーーーー[黒ハート](遠吠え)

ほんとうに、開催情報教えて下さったのみならず、入場券回して下さったにきーた様には多謝、多謝です。
下僕と呼んで下さいm(_ "_)m 仕えましょう!(使い途ないやろ…orz)

……そろそろ読む人が分かるように書こうね!(^皿^;)

本日は、国際基督教大学にて開催の

Possibility of Doing Literature--いかに「文学するか」
シンポジウム「小説家と考える文学教育」

パネリスト◆髙村薫先生、奥泉光先生

というのを聞いて参りました!(げこ、場違い~^_^;)

台本も無しで、かなり自由に語られましたが、ほかの文学研究者の先生方も加わっての質疑応答もあり、
凄まじく濃密で知的興奮に満ちあふれた時間となりまして、3時間も、長いかな…とドキドキしてましたが、
全然! あっという間にお開きとなりました。

シンポジウム高村先生.jpg
難しすぎて、無学なアタクシなどには聞き取れない文学者名、哲学者名、作品名、どかどか出てくるわ、タイヘンでしたが、でも、必死で出来るだけ一言一句逃さずノート取って来ました。
合間に、先生の麗しのご尊顔をスケッチまでしたヨ[かわいい](最前列で何やってるーーーっ!!?)

以下に、そのノートの内容を引き写します。
分からなかった語句その他は、ちょびっとは調べて文脈から類推しましたが、何しろ無学ゆえ、とんでもない勘違いをしてるかもしれません。
内容の間違いは、ですから全部げこに文責ありです。

それから、細かい語尾なんかは、とてもリアルタイムで速記できませんでしたので、へんな印象を植え付けるのを避けたい思いで、ぞんざいな言い切り口調のノートのまんまになってます。

リアル髙村先生は、細~くて高い声で、柔らかく優しい丁寧語で語られてます[ぴかぴか(新しい)]
テレビ通して聞いていた時の印象と、全然違いました。
ぞんざいな言い切り口調は、読みながらどうぞそのように脳内脚色してくださいませ(^人^)

あああああ、幸せがぶり返してきたぞ……。
正気のうちに、覚えてるうちに、書かなきゃ(>_<)
***************************************

◆◆◆髙村先生の1人語り部分◆◆◆


私の“下地”がどのように作られて来たか。

それこそガチガチの旧制高校的な、大正教養主義丸出しの親の元に生まれた。
両親とも理系の大卒でありながら、当たり前のように、教養として文学・哲学・芸術が身の回りにあった。
私にとって大人の世界は、日向臭い紙のにおい。本棚のにおいに囲まれて育った。

成長につれて、子どもは自分の興味に合わせ、自発的に本を選ぶ。それは必然となる。
私にとっての原体験は、そうして選んだ本の中で出会った《戦争》だった。

私が漢字が読めるようになって、最初に選んだ本は、ハンス・カロッサの『ルーマニア日記』であり、
レマルクの『西部戦線異状なし』だった。
そうして、「第一次世界大戦について知りたい」と思うと、ヘッセ、ジイドへ手が伸びていく。
さらにはトマス・マンと繋がり、カント、ヘーゲル、ニーチェ、そしてゲーテへ至る。

すると、ゲーテを神とする親と、小説の中で再会をする。

文学を取り巻く環境が激変している現代、文学との出会いは厳しい状況にある。
文学とは、単なるお気に入りの1冊ではない。良い1冊との出会いが、文学との出会いではない。

その人の生活・人生・身体感覚と密接に結びついた中で選ばれたものが《文学》。
その人の中での必要と、たまたま発見すること、両者が揃って初めて《幸福な出会い》となる。

反抗したい親と、同じ本を通じて出会う。文学との出会いは、家族や人生との出会いでもある。

身体感覚、生活感覚、またあるときは違和感。それがない1冊の本は《情報》でしかない。

私にとっての身体感覚は、《戦争》だった。
それは、古い日本家屋の畳であり、土壁の匂い、障子紙の匂いと結びついている。
それに陰影も加わって、身体感覚が出来ている。
こういう私であるから、谷崎潤一郎を読むことが出来る。
電子書籍のリーダーで、スタバで谷崎潤一郎を読めるのか?
今若い人達がiパッドで読むものと、私の世代が読むものは違うように思う。《小説の情報化》

小さい日の私は、大人の世界を知りたくて本を読んでいた。
知識に満ちあふれた、とてつもなく深く広大な世界を、本棚を見れば感じることが出来た。

知識の世界を、人間を知らないと、真実・真理・哲学を知らないと、大人になれない。
知識を持たないと、世界へ出て行けない。という、焦りと渇望があった。

この焦りと渇望が、ネット時代に失われたものの1つではないか。
手の中に、いつも知識がある。必要になれば、いつでも引き出すことが出来る、という感覚でいるのだろう。


大学時代の私は、文学青年ではなく、興味は哲学の方へ傾いていた。
そんな私が寮で1つの出会いをする。
1学年上の数学専攻の先輩が、分厚い辞書で単語を逐一調べながら、1ページに1週間をかけて
ミルトンの『失楽園』を原書で読んでいるのを見た。
古い英語の読解の姿、古い英語の持つ匂いに感動した。そして、私には無理だと思った。

シェイクスピアの自分の中での位置づけが、ずっと分からなかった。
『真夏の夜の夢』、『お気に召すまま』を書くシェイクスピア、
『マクベス』、『リア王』、『タイタス・アンドロニカス』を書くシェイクスピア。
でも、シェイクスピア時代の野蛮で猥雑なイギリス社会を反映している英語による文学だと知って納得。
文学と身体感覚との出会い。

逆に、文学から身体感覚を受け取ることもある。

これも小さい頃に読んだ、スタインベックの『怒りの葡萄』、おかげで私にとってのアメリカは
ずっと殺伐とした砂漠の土埃、という印象だった。
ヘミングウェイは都会的過ぎて苦手。フィッツジェラルドも駄目。
フォークナーの『八月の光』なんかを喜んで読んでいた。

身体感覚と言語感覚の、どちらが欠けても文学は成立しない。

身体感覚は、人が生きていく中で吸収していく社会・時代・芸術・生活の全て。
それが蓄積となり、下地となる。

身体感覚も言語感覚も、どちらも数値化できない。言語化出来ないものを言語化する。
その不毛な営みが、私にとって《小説を書く》ということ。

文学の教育は……どうするのか分からない。

司会者:フランス文学が専攻では?(^_^)

そういうことになっているが、フーコーのポスト構造主義など、ほとんど哲学だった。


◆◆◆他パネリストの文学者の方々の質問に答えて◆◆◆


Q:どうして作家に?

自分が自覚的に作家になると思ったのは、デビューしてからずっと後。

読む小説が、80年代に段々なくなってきた。
70年代は、野間宏の短編や中上健次を読んでいれば、幸福な読者だった。

《文学の解体》と言われた80年代、古井由吉や大庭みな子は高齢になり、読む本がなかった。
本屋へ行っても手ぶらで帰ってくる。本を読んで過ごしていた夜の時間が余った。不純な偶然。


Q:ワープロの経験があったから?

あれば小説が書けるというものでもない。
ただ、ワープロやパソコンは、文章の推敲を飛躍的に簡単にしてくれる。
小説を書くために生まれた道具だと思う。


Q:職業作家になろう、これを仕事にするんだ、と思ったのはいつ?

『照柿』の時。 (げこ、心中絶叫、うっそぉおお~! 椅子の上で声無く悶絶)
直木賞よりずっと後。アマチュアに毛が生えたようなもの、今もずっと。

職業と言うよりも、言葉で表現しようとしても、思っている世界、空気、空間を完全には書けない。
どうにもならない。今の私の言語能力では不可能。でも、書かなければ仕様がない。
デビューしてから、ずーっとそう。


Q:何故、文庫化であんなに大幅に手を入れるのか?

大体、文庫化というと、出てから10年経っている。
10年前そのままが恥ずかしい、というだけ。 (げこ、またもや椅子の上で悶絶。挙動不審!)


Q:論文と小説との違いは?

書き上げては、思ったものと違う、と捨てていく。それの繰り返し。

(何だかこれには、聞きながら総毛立ちました。
(女王は、ただ一人自分の脳裏だけにある小説空間と、言語だけを武器に終生格闘しているんだな、と。さすがに、言葉に対するこだわり、美学、愛情をすっごく感じましたが、あれだけ端正にストイックに磨き上げて、まだまだ足らんのか! どれだけあなたのインナースペースは緻密にして広大無辺なんや!
(一度脱稿して世に出たものは、読んで脳裏に世界を描く読者のものでもある、公共物的側面もあるのだから、作者といえど勝手に変えて欲しくない、と実は文庫版での改稿には含むところが多々あったのです。が、先生にとってテキストは、常に可塑的な進化すべきものである、というのはこの話を伺って、至極納得したのでした。分かりました………何版出ようが、全部買いますとも(・_・、)


Q:中年の警部のメンタリティなど、全然縁の無い世界を緻密に書き込まれるが、取材はどうやって?

政治も警察も青森も、全く興味の無い世界。
中年にも興味は無い。若い男のほうが良いに決まっている。
(げこ、またもや脳内絶叫!!! ……それにしても司会の先生、おっそろしい質問を(^"^;) ああ脈が上がる……!)

ある空間を描こうとすると、人間を描くことになる。
土地、時代、人間、社会の集合体が小説空間。
必要だから、体の底へ運んで吸収する。そういう作業はやる。
考えてみれば、興味のない世界ばかり書いている。

奥泉先生:ゴルフの場面があるからと言って、ゴルフ全然興味ないのに
山ほど本読んでるとか言ってましたね(^_^) パチスロも、マンガ本も…
(義兄~~~~!!! 奥泉先生、貴重なお話をありがとうございます!)

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長くなりましたので、いったん切ります。
まだ質疑応答が続きます。
分量はこれで大体半分くらい。ここがちょうど中間地点。

ただし、奥泉先生の発言部分をカットしてますので、ホントはこの倍あります。
すみません、すみません(>_<)[あせあせ(飛び散る汗)] 勿論ノートは取ってあるんですが、ここの客層が…(^_^;)
とっても軽妙洒脱にして鋭い、実り多く興味深い語りをされるばかりか、さらには
孤高の女王を絶妙にフォローしてくださって、話に非常に巧みに全体でひとつの流れを作ってくださり、
おかげで、実に安心して(ノート取りに専念して)聞いていることが出来たのでした。

今まで読んだことありませんでしたが、必ずご著作読みます! 誓います!

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コメント 4

コメントの受付は締め切りました
からな

はじめまして、からなと申します。
先日行われた高村さんのシンポジウムのレポートを探して、こちらにたどり着きました。

・・・というのは建前で、実は1か月程前から訪問しておりました(苦笑)
げこさんの興奮と感動が伝わってくる記事に、「ああ、私もこうだったなあ~」と懐かしく、また初心に戻らねば・・・と気を引き締めなければ、と改めて思いました。

シンポジウムの詳細なレポート、本当にありがとうございます。
行けなかった人間にとっては、感謝してもしきれないくらいです。
印刷して熟読しますね。

それに高村さんの素敵なイラストまで!
私も何度か高村さんの講演会やサイン会に行って、間近で言葉を交わす機会がありましたが、本当にもう恐れ多いというか、こちらがちっぽけな存在に感じるというか・・・。
げこさんの「目が深宇宙」という表現に、納得です。

あんまり素晴らしい内容とレポートなので、事後報告になりますが、当ブログでレポートのことをご紹介させていただきました。
これは高村さんのファンには、ぜひ読んでいただきたい、読んでもらうべきだ! と思いまして。

何を勝手なことを、と不快に思われましたら、リンクをはずしますので・・・。

初めての書き込みで長々と失礼しました。
これからもどんどん、イラスト漫画と作文に励んで下さいませ♪
(個人的には、げこさんの描かれる情けなさそうな秦野組長がお気に入りです♪)


by からな (2011-10-31 23:39) 

げこ

からな様


熱病発症以来、ずっと孤独を慰め励まし、導きの灯火となって頂いておりました
一方的に愛読していた大先輩サイトの管理人さまから、声を掛けて頂けるとは!
凄まじく緊張しつつ、大変に感激しています!!(>_<)

さっそくからな様のサイトへお邪魔して、お礼コメント書き込んで来ましたが、
緊張の余り不細工に大失敗して来ましたよ~ん。ブッタ切れて2通になっちゃった(:_;)

うわあああああ、い、1ヶ月も前から!(今さら緊張しても遅いっての!!)
知らないっていうのは、どれだけでも勇敢になれる一番の妙薬ですねぇ……
---うぎゃあああああ!(激赤面)←遅いってば…orz

もうこうなれば開き直って、トラックバックさせてください!
…というのは先方に書かないと仕様がないのかな? どうもネットのお作法に真っ暗で(^_^;)
堂々の老舗でいらっしゃるのに、ウチのような後発もいいところの、
雨も乾ききった後の笹竹みたいなサイトまで見出してくださるとは……
からな様のマメさと情熱に、頭が下がります。

髙村先生と同じ空気を吸って、肉声を聞くなんて(マイク越しの声も聞こえてましたが)
初めてだったので、本当に、血圧は上がり足はガクガク……
そのくせ、砂かぶりのかぶりつきの最前列真ん前席に突撃はかます、
実は、閉幕後もお手紙持って突っ込んで行きました(^_^;)

恐れ多くてジッと凝視なんて出来ませんでしたが、(だからスケッチがカメラ目線じゃない)
それでも一瞬見ただけで、深宇宙でした。吸い込まれそうでした!(>_<)

からな様が、二次創作に寛容なお方で助かりました~~~orz
ああ、恥ずかしい……(。・・。)

にせハタノン、きさま光栄だなぁ!
また出番作ってやろうなぁ!(何サマ俺…^_^;)
by げこ (2011-11-01 00:47) 

からな

げこさん、こんばんは。
当ブログにもコメントとトラックバックをありがとうございます。
こちらでまとめてお返事することをお許し下さい。

げこさんと同じく、私も「下戸」でして、高村作品に出てくるお酒は全て味わえないという悲劇・・・。
下戸であることがこんなに悔しいことだとは・・・。この想い、共有できる方がいらして嬉しいです♪

>二次創作に寛容

脳内では、妄想の嵐が吹き荒れてますので(笑)
そもそも絵は描けないし、文才はないしで、表現できないんです。

お話を書かれる方、絵や漫画を描ける方の作品を楽しむ、というのが専ら。

寛容・・・指摘されて気づきましたが、ネットを始めた頃に比べれば、大分丸くなったかもしれません(苦笑)
作品や登場人物に対する「愛」がなければ、パロディや二次創作などはやらないでしょう、と今更ながら気づいたので。
また皆さん、上手なんですよね・・・うらやましい。

>にせハタノン、きさま光栄だなぁ!
>また出番作ってやろうなぁ!

ぜひぜひ、よろしくお願いします。
情けない秦野組長もいいですが、テホンビキの場面のかっこいい組長も、さりげなくリクエストいたします♪


by からな (2011-11-02 00:01) 

げこ

からな様


わざわざお訪ねくださり、有難うございますv

テホンビキ六代目、ありやすよ~、在庫が(^ー^)
今度お清書、しちゃいやしょう♪(それが第一声か!)

知性と情熱の香り立つ「墓碑銘」に、1晩に3つもいきなり書きまくり、
荒らしかキサマ…(^"^;)って有り様で、やらかしながら恐縮しておりました。
お騒がせ申し訳ございません。

そうですか、下戸仲間とは光栄です。無念を慰め合えます…(。・・)
何故か、私の知る作家先生、オットコマエの方ほど酒豪(&美女v)でいらして、
下戸は貢ぎ物を選ぶにもお酌をするにも不自由で、本当に悔しい思いを!(>_<)

初読の頃、『神の火』初版単行本「赤い花が咲く!」にオイオイ声放って1人布団で
号泣していた今より少し若かった日は、私も二次創作など夢にも思っていませんでした!

何で再読した途端、発病したのか謎ですが(^_^;)
ヲトナになって腐ったのか、恥を捨てたのか、老い先短いから開き直ったのか、

……いや、やっぱり合田さんのせいだ!!!

幸田さんでも島田さんでも吉田さんでも手島さんでも発病しなかったのに、
合田さんに出くわすなり、いきなり一気に危篤状態に陥りましたから( ̄∇ ̄)

書評でもファンレター書くのでもブログで惚気るんでも、ハカが行かない、
何故かも分からず独りでに溢れ出て来る、熱くて苦しい思いを吐き出さないと日常生活が!!
こうなると、もう二次創作で吐き出すのが一番ハケが良いのです………

でも、これは私個人の内圧とかハケの問題で、ファンとして先生や合田さんに益をなす行動ではありません。(害なしてるかもしれない~!^_^;)
からな様のように、広く読者を啓蒙し、読書欲を高揚する、萌えすら解していながらアカデミックな知的興奮も充足させてくれるような、益なすハケの方が、先生だけでなく万人に公益的で良かったんですが……
こればっかりは適性というか、仕方がないことではありますね(~_~;)

まぁ、おのおのがやれるように、やれることを…という(^_^;)
(だから二次アレルギーな向きには、寛容なるスルーを伏して拝みたく……)

合田さんには本当にご迷惑とは思うのですが、真実「愛」あります(>_<)
本の中にしかいない人のために、壊れるし泣くし行動するし、明日も生きていけます。

本って本当に凄いものだと思います。
文学や教養や、論じる言葉は色々でしたが、髙村先生が繰り返し仰っていたのは、
「本は人間そのもの、人の生きていくための血肉である」それに尽きると思っています。

ずっと先生を追いかけて、ご支持申し上げていきたいと思っていますv


by げこ (2011-11-02 01:52) 

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