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シンポジウム ノート続き [たわごと◆Takamura作品全般]

昨日のノートの続き、後半部分の第2部になります。

第1部よりも、持論や感想も多々交えた質疑応答、時にはディスカッション的な感じになってまして、
女王の発言だけ読んだのでは、熱く楽しい感じは随分減じてしまうと思います。すみません(ーー;)
でも、全員分載せるとまた文字量増えますし、まぁ、ここは合田キチガイのぶつぶつ部屋ですから、
どうぞユル~くご勘弁くださいませ(^_^;)
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Q:メッセージ性について。何か読む人に伝えたい、訴えたいことがあって書いている?

(訴えたいメッセージなどは特にない、というお言葉)
単なるストーリーや情報ならば、他の方法でも伝えることは出来る。
小説でなければ出来ないことに、関心がある。表現の方法、無数の表現の中からの選択。

単語の連なり、音の重なり、漢字仮名交じりである日本語ならではの見た目の印象。
それが1ページの中にぴたりと収まった時の美しさ。それら全てで《表現》が成立する。

(ああ、これ分かるなぁ~!とガクガク肯くげこ。表音文字でない、意味とイメージを背負った絵である漢字は、
ページを見た瞬間、目から脳裏に直接結ぶ画像、時に音付き匂い付き!ってくらい、クッキリとした印象があるんですよね。
パトカーに尻引っかけた合田さんの視線に舐められた!と思う瞬間、泣き濡れる義兄の呼吸を感じて胸の激痛を共有する瞬間、
かくまで研ぎ澄まされた表現でもって、先生の脳裏の物語空間が、私の頭に移植されたぁー!っていう悦楽がある。
……ここまで拘っているから、ならではなんですなぁ~。ほくほく[黒ハート]


Q:文学部とは何か? その使命、役割とは。

文学部らしい文学部の授業を受けたことがない。

学生時代、家族の病気で休学し、1年留年して大阪にいた。
その間、京都大学の仏文学部で聴講していたが、そこでやっていたのが
ポール・ヴァレリーの『カイエ』の読解で、それも酷い癖字で難読な著者肉筆ノートがテキストだった。
バカバカしい、何になるんだ?と思った。
寮で先輩が『失楽園』を読んでいた時には深く感動したのに。

文学部でやることと、小説家になることは関係がない。


Q:文学理論と作風の関係とは?

私たちに世界を眺める視座を与えるのが文学理論。
ポスト構造主義、カント、ラカンなど、言語と世界との関係を学んだが、
それらなしに書くことは出来ない。


Q:教育・研究と、小説の実践とは対義的であるが、テキスト以外の研究から分かったことが、テキストの豊かさを押し上げることがある。小説家は一個の人間でもあるが、その枠を超え、《書かされて》書いているのが作家では。伝承できるものしか、教育・研究では伝えられない。言葉にならないものはむしろ、小説の方が伝わるように思う。数十年後の後世に遺る自分は、どんな作家か。評論家や研究者、読者の意義付けとのズレは感じるか?

書くことで、自分が生きている感じ。書かなければ食べて寝て呼吸して、それだけ。
亡くなった後に、自分が研究対象になるとは思っていない。
私は、今の時代の感覚とは違う方向を向いている。合っていないのは感じている。

(こんなに崇拝者がいるのに! …いや、今日のは真面目な催しだから、ディープな病人ファンは少ない…
つかアタシらだけ!?【ごめん、にきーたさん、げこと一緒くたにして^_^;】でしたが、
「新潮社の100冊」にも入って、どんどん版替えて何版も刷りを重ねて、連載だってじゃんじゃんやってるのに、
どうしてこんなことを仰る……(T_T) 若造との違和感がありすぎるのかな。そんなん、げこだって思ってますよ毎日!)


Q:文学部に出来ることの1つは、《プロの読者を作る》こと。感性の幅を広げることが重要で、リスペクトする読み方を学ぶ。シェイクスピアの時代など特に、人は消えていくもので、身体性は何も残らない、という意識が強い。文学は後世の読者が継いで育てていくもの。インターテクスチュア、伝統というものに対していかに考えるか?

プロの読者を作る、というお話には深く感銘を受けた。

自分の作がそうして後世まで読まれるとは思えないが、私は日本語の作品を多く読んできた。
古典は苦手だが、読んできたことで、旧字・旧仮名遣いで書かれたものの美しさには感応する。
自作で、その半分を旧字・旧仮名遣いで書いたこともある。

自分は、過去の日本人が積み上げてきたものの上に立って書いていると思う。


Q:日本語は、文学を作るために生まれた言語と考えている。人間が言語を使っている反面、言語に人間が使われている、という面もある。私は、どんな言語でも同じ内容が書けるとは思わない。お二人が、日本語だから表現できる、と思った瞬間とは?

(これを質問してらっしゃるのは、東大在学中日本語で卒論を出されたという、ロシア人女性の日本古典文学研究者。
日本語を真に知りたければ和歌を読め!と熱く力説していらっしゃいました。
翻訳についても議論白熱で、複数言語を跨ぎ超す難しさ、不可能さ。その葛藤が言語を鍛える。
翻訳とは、異言語による文学の再構築か、敢えて異質感を残すべきか、常にせめぎあうもの。など、
ホントに面白い話が芋づるに続々と出てきました。ああ、みなさん、なんて幸せそうな仙人がた[ぴかぴか(新しい)]

自作は、欧米語に訳すのが難しい、とよく言われる。へぇー、そうですか、と思う。
逆に、村上春樹は英訳し易い、と聞いたことがある。同じ日本語で書かれていても違いがある。

自分が書いていて実感するが、日本語によって論理的に書くことももちろん出来るが、
書きながら敢えて主語を抜いたり、一人称か三人称か曖昧にする、という芸当が出来るのが日本語。
曖昧な、やまとことば的な空気も作れる。

日本語の表現力の可能性を、いま21世紀に書いていて「使えるな」と思う。


Q:難しいテキストを読める人を、代々作って継承していかないと、ホーマーもヴェルギリウスもインクの染みになってしまう。「異読あり」は版を1つスルーすると消えてしまうこともある。《在日古代ギリシャ人》になると、21世紀日本語に違和感を感じたり、違う視座を得ることが出来て、楽しいし面白い。書いていて、日本語が外国語に見えてくることはないか?

(今の人間の大半が読めない、利用できないテキストは存在しないも同じ。これだけ多くの日本人が、欧米語には堪能なのに、
たかだか江戸期の行書を読める人間がほとんどいない。まだ幸運にして、凄まじい量のテキストが現存するのに、
誰もが読める、検索して整理・引用・研究できるように活字化・データ化しているテキストは、氷山の一角よりも少ない。
このままでは価値も何も分からないまま、膨大な量のテキストが、時の中に塵と消えてしまう!という
どこかで見た研究者の嘆きを思い出しました。読む人のない文学は、どんなに偉大でも貴重でも《インクの染み》……痛々しい…)

ジョイスの『ユリシーズ』を日本語訳で見ると、ほとんど外国語に見えてくる。
古典への興味はICUで叩き込まれた。

まともな日本語文学と、いま量産されている“日本語で書かれたもの”とは
まったく別物だと思っている。


会場の聴講者からのQ:映像化や政治評論など、小説以外の仕事への心構えについて伺いたい。

私は2人いる。日常生活を送っている私と、小説を書く私は別人。
また、小説を書いている私と、評論を書いている私もまったくの別人。
評論を書いている私は、同時代を生きている一市民。
小説を書いている私は、小説をかくためだけに存在している。一市民なんかじゃない。
周りはどうでもよろしい、という。

(まったくだ!!! 薄汚い、人間の営みの中でもっとも醜悪な《政治》なんかに、これ以上関わらないでください先生(>_<)
時間の無駄です! そんなヒマがあったら七係シリーズ書いて下さいよぉ~~~~!)←こら…[たらーっ(汗)]


会場の聴講者からのQ:文学すること、役に立たない思考、思想、教養に対する社会の貧しさを日々感じている。嘆くしか出来ないのだろうか。

(奥泉先生の、若者が思考し、交流できる場を大学などが担ってやれば……という発言を受けて)

そんなに優しくしてやらなければならない? (会場に小さなざわめき、笑い声)

私たち世代が、若い人々に何をしてやれるか。
気付いてもらいたい。どうやって気付いてもらうか。
美しい日本語でものを書く。すると、読んだ若い人が「これは自分には書けない」「どうして書けないのか」

生きる中でその人が生きる姿、すべての下地が教養。
たくさんの本を読んだ人の書く文章と、そうじゃない若い人の文章は違う。
違うことに気付き、疑問に思って欲しい。
積み重ねて来たものが違う。ではもっと本を読もう、勉強しよう、と思ってほしい。

(きゃああ~~~(>_<) 耳が痛い、耳が痛い、激痛!!! 誠にアッシには教養なんて、薬にしたくもない言葉でござりんす(T_T)


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といったところで、誠にお名残惜しかったのですが、時間切れとなってしまいました。

文学仙人たちの、知的遊戯を傍観しただけですが、ほんっとうにたったこれだけの人数で聞いてて
いいんですか!!? 許されるんですか[exclamation&amp;question] という勿体なさでした。
贅沢や……[ぴかぴか(新しい)]
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青子

日曜日。学校行事の「ハートフルコンサート」なんてもので、心和んだところに昨日今日のブログを拝見し、ぶっとんでしまいました(震)


予想はしてましたが、あまりに高尚すぎるシンポジム・・・・凄過ぎる・・・。読みながら冷や汗たらたら。わたし、ここにいたら、間違いなく場違いっ!シンポジウムの内は?????ですが、場違いだということだけはわかる(威張ることじゃありません)
わからないながらに、引っかかった個所が、「プロの読者をつくる」・・・最近、自分の勉強不足、知識不足を改めて反省しているところでして、感性の幅を広げるという言葉に、そうだよなーと、思うことしきりでした。わたしはもう、文学部の学生になることはかないませんが、感性の幅を広げる努力はしていきたいものです。もう一つ、「まともな日本語文学と、いま量産されている日本語で書かれたもの、とは全く別物と思っている」女王、なんて発言を・・・何を選ぶかを、試されている気がします・・・怖い><・・・。でも、女王についていけば間違いはないのだという思いも。

個人的には、げこさんが、お話を聞きながら、あれだけのメモを取っていらしたことに感服しております。おまけに、すんごい理解してらしゃるし!!知的濃度が濃厚に漂う感じも伝わってきました^^
なのになのに、私の理解がこんな程度で大変申し訳ありません(涙)
わたしはもっともっと勉強せねばいかん!と切実に感じてます。「上」とか言ってるバヤイか・・・


ここでちょっと脱線話です。

下の坊主が学校で絵手紙を描いたものを見たのですが、秋刀魚とビールの図柄・・・。で、そのビールが何故か赤で塗られておりました…うちの坊主がLJだったとは・・・!



by 青子 (2011-10-31 00:25) 

げこ

青子さまv


とんでもない!! 理解なんてぇ、してまへんって!(>_<)
(あんまり力一杯言い切ると、あんなに熱く語って下さった仙人方に申し訳なさ過ぎるんですが…^_^;)
古井由吉、なんて、ノートでは「フルヤヨシキ?」ってなってたんですよぉ~。天下の芥川作家くらい知っておけい!ってか(^皿^;)
ウチが取ってる日経新聞(すみません、『新リア王』は難解すぎて追っかける前に気絶してました!)に、たまたま瀬戸内寂聴が文壇のお歴々との交流エッセイを連載していて、おかげで「大庭みな子」は分かったけれど、西洋の文人哲人はほとんど後引きです(^"^;)

でも、他のパネリストの発言時は背筋を伸ばしてメモとりつつ聞いてるのに(嘘です。退屈そうに、あるいは深く肯きながら聞いていらっしゃる女王のご尊顔をデレデレとスケッチしてました~)、女王が話し始めると途端に、膝に突っ伏して凄まじい勢いで速記を始める。挙動不審!挙動不審!
奥泉先生には、病人ファンなのを完璧に見破られていたような気がスル…… 気のせいか、なんだか笑われてたような空気を感じたような(^_^;)

分からないながらも、とにかく楽しくて幸せだったひとときをご一緒したく、ほぼ青子さんのためにアップしました(^人^)

想像以上にオットコマエだった女王にはいよいよ惚れ直しましたが、絶対近所には寄れないな……とも覚悟しましたぜ(^_^;)
いいんです。信者はバルコニーに立つ女王のお姿を遠くから拝むもの。
一日経ってもまだ幸せ~~~~( ̄∇ ̄)
◆ ◆ ◆
それにしても、お坊ちゃまったら、真っ赤なビールとはお茶目さん!(^・^)
メーカーは日の出だったのか! レアだよそれ~v
おばちゃん、めっちゃ高く買うよ!
◆ ◆ ◆
何を選ぶか、どころじゃなく、捏造なんかしていていいのか俺!!!
ってのは、女王を3メートル前に見ながら、3時間心中絶叫していたところです(>_<)
でも、凄いですね、今夜もじゃんじゃん捏造してますよー(^_^;)
もうすぐ「やけくそ②」がアップ出来そうですもん♪

それとコレとは別!って棲み分けには、全然支障ないみたいです。
むしろ、熱上がっちゃって勢いづいてます。
昔っから、一番ペンが走るのがラブレターって女ですから(^m^)
生きてる男には1通も書いたことないけど!(爆)

また妄想話、ビョーキ談義、エンドレスご一緒いたしましょうv







by げこ (2011-10-31 00:53) 

げこ

追記、

「上」 大事ですよ~~!!
人間関係の基本じゃん! 
上下が分からないと口の利き方も決まらない、敬語だらけの日本語で
暮らしてる私タチですもの!(違)

ジャンルによっては、上下逆だと親の仇状態のところもあるって……(怖)
by げこ (2011-10-31 00:57) 

にきーた

先日はありがとうございました。

あまりに幸せで充実した時間を過ごしてしまった為でしょうか、週末から今日まですっかり燃え尽きた灰の気分でした。
もう真っ白ですw

そんな自分と比べるのも失礼ですが、あの濃密なシンポジウムの内容を見事にまとめてらっしゃるげこさんは凄い!偉い!

高村さんは、お話の内容、受け答えの真摯さ、言葉の選び方等々、どれを取っても平伏したくなるような方でしたね。
大人になってかかった麻疹のように、熱はますます上がるばかりです!

聴講者から(この部分、メモを取っていなかったのでうろ覚えです。すいません)「作品がドラマ、映画化された場合、視聴者がその作品を自分のメッセージだと受け止めてしまうかも知れないことについて云々…」という質問が出たときに、髙村さんのリアクションがとても大きかったことが印象的でした。

天を大きく仰いでそのままうつむかれていたような…是非答えていただきたかったのですが、進行していく中で飛ばされてしまったのが残念です。
色々思うところがおありなのでは…。

自分でも何が書いてあるのかよくわからないノートを元に、私もなんとかシンポジウムの内容をまとめてみようかなぁと…思っては…いますが…私の場合、知識と能力が内容に遠く遠く追い付かないw

げこさんのレポを大事に大事に拝読させていただきますね!


by にきーた (2011-11-01 00:59) 

げこ

にきーた様v


お疲れ様でした~~!( ̄∇ ̄) 
ほんと、ICU発バスから駅に降り立ったとき、私タチふらふらでしたものね(^_^;)
この勢いや!と帰宅するなりPCに向かい、家族にはコンビニ弁当食わせてました(鬼母…)
何話してもナチュラルハイで娘には「ママ壊れてる!」と退かれ、旦那には苦笑され。
記事アップしてもまだ冷めやらず、亭主と朝まで白熱文学談義(^_^;)
(ジャンルは全然違うんですが、亭主も年期のいった活字中毒者なんで)

聴講者からの質問、「小説を書く以外の仕事についての心構え」の中で、
「以外の仕事」の実例として、ドラマや映画といった映像作品、政治評論、奥泉先生の方でトークライブなどが挙がってましたね。
そちらは政治評論の方に話が行ってしまって、ドラマはスルーされちゃったんでした(残念…^_^;)
でも、質問を聞いていらっしゃる時、確かに「映像作品」のところで、全編通しても一番大きかった?って思われるリアクションを示しておられました。(釣られて私も椅子の上で悶えてました^_^;)
パンチ食らったように一瞬ぐらりとされて、それからニヤリと苦笑されていたような……(ノート取りながらなんで、ちょっと自信がないですけど…)
ああ、いろいろと思うところはおありになるんだな、と私もニヤリとしてましたが(^ー^)

別の方(仏文学の先生)の質問で、「死後後世に遺る自分はどんな作家と考えられるか」の後に、「評論家や研究者、読者の意義付けなどと、ズレを感じられたことは?」という質問があって、私はすっごいそこ、乗り出したんですが!
そちらも「死後後世」の方へ流れてしまって、「読者の意義付けとのズレ」についてはスルーとなってしまったんです(・_・、)

「特にメッセージはない」と仰り、「今の時代には合っていない」と仰り、「自分が生きるために書いている」と仰る先生、
徹底的にストイックに求道され、読者への媚びには背を向けていらっしゃる先生に、読者とのズレについて伺いたかった……!!

私みたいな病人ファンはお嫌いですか? 迷惑ですか?って(>_<)

他にも、★義兄の誕生日はいつなんですか!
★湖北のお宿には行けたんですか!
★合田さん、どこまで出世されますか!
★合田さんの次の新作ご出演はいつですか!
なんてね、質問攻めしたかったよ……無理だっての(^_^;)
そんなことしたら、徹底的に嫌われちゃうって!!orz


追記(私信):例のブツ、亭主が出張から帰るまでお待ちを~」(^人^)
by げこ (2011-11-01 01:29) 

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